「料理ができない」ってソレ本当?『器用な人間』として生きてきた私が、最近思うこと

エッセイ

こんにちは、プロ主婦®マミです。

今日はちょっと、日頃感じている「本音」を書いてみようと思います。

テーマは、夫婦や家庭でよくある家事シェアにも関係してくるお話。

「俺、料理ができないから問題」について(勝手に名付けました・笑)。

「料理ができないから仕方がない」と言う夫

私自身は、子どものころから割と料理に興味があって、お菓子作りからはじまり、料理の本を読むのも好きだったこともあり、いつの間にか自然と料理ができるようになっていました。

そして、料理が好きな方です。主婦になる前はね、ほんと料理好きでした。

……って書いたら、今が嫌いみたいな感じもしますが(笑)。

いや、今も基本的には料理が好きだけど、毎日の生活の中の料理って、好きとか嫌いとかだけじゃ語れないですよね。やらなきゃどうしようもないし!

そう、とりあえず私は普通に料理ができます。そういえば「家庭料理スペシャリスト」という資格も持っています。

一方で、わが家の夫はほとんど料理ができません。

「え、それ普通分かるでしょ?」と私が思ってしまうような基本のことでも分からなかったりします。

そして何よりモヤッとするのが、「俺は料理ができないから仕方がない」「料理はできる人がやった方がいい」 と、「できないこと」を堂々と正当化してくること。ハナからやろうとしないのです。

これ、うちだけじゃないですよね?世のご家庭でも「あるある」なのではないでしょうか。

できる側からすると、「最初からやる気がないだけじゃない?」「やろうとしていないだけで、本当にできない人なんているのかな?」と思ってしまうのです。

もちろん得意不得意はあるけれど、ご飯を炊いてお味噌汁を作るくらいなら、少しやれば誰だってできるようになるはず。今の時代、便利な「〇〇の素」だってたくさんあります。

でも、「できない」を盾にされると、できる側はイラだつと同時に、

「あーもう、説明するより自分がやった方が早いな……」

と諦めてしまう。この繰り返しなんですよね。

「できる人の身にもなってみろ」と思う日もある

実を言うと、私は昔からどちらかといえば器用なタイプ。というか、「これまでの人生、器用さだけで乗り切ってきたんじゃないか?」と思うことすらある。うん、ありありです。

だから、昔からこの言葉をよく聞いてきました。

「できる人がやればいいじゃん」

「できない人の気持ちも考えてあげて」

……でもね、最近すごく思うんですよ。

「じゃあ、できる人の身、いつもやる側の人の身には誰がなってくれるの?」って。

「できるから」と引き受けて、気づけば当たり前のように頼りにされ、全部背負わされている。

「これって、器用な人が損をしているだけなんじゃないか?」と、ふと虚しくなる瞬間も正直ありました。

損ばかりじゃない。もしかしたら「得」なのかもしれないけれど

でも、ここ最近は少し違う風にも思えるようになってきました。

頼まれて何かを作って、家族に「美味しい!」と喜んでもらえたり、感謝されたりしたときに得られる満足感や幸福感。

それは、手を動かして「やった人」にしか味わえない特別なご褒美なんですよね。

そう考えると、ただ「損をしている」わけではなくて、人生の豊かな経験という意味では、もしかしたら「得をしている」部分もあるのかもしれないな、と。

最初から「できない」と言ってやらない人は、その場はラク(得?)かもしれないけれど、この喜びも味わえないわけです。だから、やっている側の方が実はいろんなものを得ているような、そんな気もしています。

それでもやっぱり、「やろうとしない」のは違う

だからといって、「じゃあ全部できる人がやればいいよね」で終わらせていいのか!

家事シェアが当たり前と言われる今の時代、「料理ができる・できない」って一体何なのでしょうか。

別に、プロ級の手料理を作ってほしいわけじゃないんです。「できる人がやればいい」と丸投げして無関心でいるのではなく、「相手が倒れたときに、最低限なんとかしようとする姿勢」があるかどうか。

「できない」を言い訳にして逃げるのではなく、まずはご飯を炊いて、お味噌汁を一杯作ってみる。便利な合わせ調味料を使って、フライパンで炒めてみる。

その小さな一歩を踏み出してくれたら、いつも作っている側の「できる人」の心は、それだけでうんと救われるのにな、と思うのです。

そして、「嫌々やる」のもちょっと違う

それにね、なんか嫌々やられるのも、またちょっと思うところがあるんですよ。

たとえば、私が具合が悪いときや、外へ仕事に行かなくてはいけなくて時間的にご飯が作れないとき。

夫も一応用意はしてくれるけれど、出てくるのが「インスタントの具なしラーメン」だったりすると、やっぱりちょっとガッカリしちゃう。

栄養バランスとか、家族に何か美味しいものを食べてもらいたいなとか、そういう気持ちはないのかな?って。

大人だけだったら別にそれでもいいんです。でも子どももいるし、私がいないといつもそんなご飯になってしまうとなると、やっぱりね……。

そうなると結局、「じゃあもういいや、私が作る」「前もって全部作り置きしてから出かけよう」となってしまう。

それがすごく嫌ってわけじゃないんだけれど、なんかね。「これってどうなのよ?」と。

……というか、やっぱり嫌かもしれない(笑)。

でもここで、「もう少しちゃんとしたもの作ってよ」なんて言おうものなら、「じゃあもういい!作らない!」とスネてしまったり。そんなことがあると、本当にガッカリしてしまいますよね。

(この「じゃあもうやらない」って、結構あるあるじゃない?どう?)

大切なのは「前向きに台所に立ってみる姿勢」

ご飯が作れる・作れない問題って、想像以上に奥が深い気がします。

不器用でもいい。うまく作れなくたっていいんです。

でも、「前向きに料理をしようとする姿勢」が何より大切なんじゃないかなと思います。嫌々やったって、やっぱり料理は上達しないですから。

料理ができない側の人が、「できる人に甘えっぱなし」から一歩抜け出して、前向きな気持ちで台所に立ってみる。

そんな人が一人でも増えたらいいなと、器用貧乏を自認するプロ主婦はひっそり願っています。

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